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ジブン ヲ 好キニナル トハ

あなたは今の自分が好きですか?
そうでない人は今まで少しでも以下のような感情に駆られたこと、ありませんか?

「○○さんにそう言われたからそうしたのに・・・」「誰々のせいだ・・・」「自分は被害者である」

私は上記のような言葉が大嫌いだ。
かくいう私もそんなことをつい最近まで考えたり、平気で身近な人に話していた気がする。

人間は常に二手に分かれるのだ。
それはずばり

「主体的に生きる人」と「受身で生きる人」。

一方は自分の生きる道に確信を持って生きている。それは今まで生きていた道に対しても、これから自分で歩もうとしている道に対してもだ。

一方は他人にどう見られるかに重点を置かれる生き方だ。
「自分が幸せか、自分が確信を持てるか」よりも「他人から見て幸せに見えるかどうか、他人から見て評判がいいか」が重要な生き方だ。

私は声を大にして大声で叫びたい。

「受身の人生なんてクソクラエ!!!!!!自分の人生は自分で確信を持って歩むんだ!!この足で!!!この目で見てこの心で全てを決めるんだ!!!!!」

日本という国に生まれて、思えば私は今までの人生の大半をいいことも悪いことも含めて「被害者」として生きてきたように思う。正しく言えば、「被害者として生きることを選択してきた」のだ。
~される、~してもらう、~された、~してもらった、誰々にこんなひどいことを言われた、ひどいことをされた・・・。

少しでも自分の中に被害者意識あったらだめだ。しかし私は最初から被害者ではない。
なぜなら、「今の私」=「今まで自分が選択、決断してきたことの集大成」だからだ。

例えば、「親がどこそこの大学に入れといったから入った。本当は専門学校に行きたかった」という人がいたとする。

イコールそれは、「専門学校に入らず、親の言うとおりに大学に入る事を自分で選択している」という事になる。
本当に専門学校に行きたかったら親に反対されようとも、家出をしようとも、どんな手段を使っても専門学校に行くと思う。

結局「今の自分」は「過去の自分」が決めているのだ。
そして「未来の自分」を決めるのは他ならない「今の自分」なのだ。

特に、女性の場合は「被害者」的な心境になってしまう機会が多いように思う。

夫が大企業の役員だとか、大金持ちのお嬢様だとか、美人だとか、女性は特に外部要因で評価される節があるところも、私はものすごい違和感を覚える。

これもまた本で読んだことがあって憤りを覚えた文で「女性は、本人が幸せだと思うのかどうかよりも、
他人から見て幸せに見えるかどうかが重要」というのがある。

私はやはり声を大にして言いたい。というか叫びたい。
「バカヤロウ!!シアワセの基準も生きていく道も全て自分で決めるんや!!!!」

いつも誰かの補助的役割を期待されて、自分で決断をするという機会を奪われがちな女性に私は声を大にして言いたい。

女性達よ今こそ立ち上がれ!そして自分の歩んできた道、歩む道に確信を持ってください!
なぜならそれは今のあなたを作り上げているすばらしい道なのだから!

「自分を好きにならないと、人も好きになれない、幸せにもできない」というのはそういう事と結びついているのだと思います。
「自分」=「今まで自分が選択、決断して来たことの集大成」なのです。

それに確信を持たずに、まだ「被害者意識」の殻に閉じこもるのでしょうか。
それは、もう「罪」の領域でさえあります。

ユダヤ教のタルムード(偉大な研究)の教えによれば、人を傷つける事や欺く事と同じくらい、自分を欺く事は罪なことなのです。

自分の歩む道に確信を持って突き進めば、必ず協力してくれる人が見つかります。
これが人間一人では生きていけないという所以だと思う。

そして協力してくれる人への感謝の気持ちを忘れてはいけません。

だから「自分を好きになる」ということは「人を好きになる」ということにつながるのだと思う。


↑タルムードについてもっと知りたい方はこの本を読んでね☆

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